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「相模原市」の歴史、文化まとめ

相模原の歴史

相模原は人が生活するようになったのが3万年前ごろだと推定されています。
これは旧石器時代に使われていたといわれている石器が境川やハト側の周辺で出土しているためです。
後期旧石器時代のものとみられる住居上の遺構も発見されており、国の史跡にも指定されています。

縄文時代から明治以降までずっと相模原は開発されてきたものの本格的なものは無くどれも規模は小さいものでした。
そのため自然が多く残っているのです。

明治22年に町村制施行によって18の村が合併して7つの村へと変わりました。
その際産業がどんどんと盛んとなり眉や生糸の生産が行われていました。
鉄道が開通してバス路線ができたこと、陸軍士官学校をはじめとした軍関係の施設が映されてきたことでついに相模原も脚光を浴びることになるのです。

郡の施設が移転したことによって相模原の都市計画も始まります。
現在の本庁付近が整然とした造りになっているのもこの都市計画のおかげです。

相模原は珍しい内陸工業地です。
昭和30年代から多くの人が集まってきたことで相模原市としての姿勢が始まり企業や住宅団地がどんどんと進出し街は大きくなりました。
ベッドタウンとしても成長をして人口もうなぎ上りに増加していき戦後市政施行された都市の中では最も人口が多いです。
2010年には政令指定都市となり、今後の発展も期待されている地域です。

内陸工業都市

多くの人が工業が栄える場所は港町と思っています。
相模原市は内陸でありながら製糸といった手工業から始まり金属製品や電気機械といった加工型の工業が多くみられるようになり発展をしてきました。
今となっては産業構造が変わったことによって大型工場が減少して廃業したものの今でも本社が相模原という企業も多いです。

なお、産業が転換したことによって廃業した場所も工場跡地に大型マンションや商業地が誕生したことによって今は生活しやすい環境が整っています。
特に商業施設においてはとても充実しており都内に出なくても十分最新トレンドの品物が揃うようになっています。
そのため小売店舗数は神奈川県内で4位、売り上げも3位という大きな商業地に発展しています。

再開発も第一次工事が落ち着きましたが今後さらに発展する計画がすすめられています。
大きな商業地が建つだけでなく超高層マンションが建設される予定です。

学術都市としての側面

都内からのアクセスが良くベッドタウンとして成長してきた背景もあり多くの学校があるのも相模原の特徴です。
相模原キャンパスを持っている大学も多く、学生でにぎわっています。

特に高等学校や中等教育学校後期課程、高等専門学校に在学する生徒に対して相模原市奨学金条例を設けて一般的な奨学金とは別に奨学金制度も設けています。
教育にも熱心に取り組んでいるのです。