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「厚木市」の歴史、文化まとめ

厚木の歴史

厚木には縄文時代であった9千年も前から人がいたと言われており、その後の弥生時代や古墳時代にも人が生活していた跡が多く見つかっています。
平安時代には愛甲に相模国に通じる道が通り愛甲郡の行政府が置かれていたと考えられています。
今の厚木を構成する地名としてある毛利庄・愛甲庄・石田庄・四宮庄といった名前は郷名が地区名として残っておりこれは古くから厚木が栄えた跡です。

厚木にも仏教が伝来してきた面影も残っています。
平安時代に伝わったと考えられる飯山金剛寺・船子観音寺・戸田延命寺・酒井薬師堂の仏像がこれにあたるものです。
鎌倉時代には源頼朝に使えた武士の多くに愛甲武士がいたともいわれています。
頼朝が亡くなってからは愛甲郡で勢力のあった武士が滅亡して北条氏の勢力に変わります。

厚木という地名が歴史書の中で見られるようになるのが鎌倉幕府滅亡後です。
南北朝時代に「あつぎ」という地名が見られるようになり、ここから本格的に歴史の中で厚木が出てくるようになります。

厚木が発展を始めるのは江戸時代からです。
宿場町として、産業や生産物の交流の場として発達し、貨物が多く行き来するようになるのです。
歌人も厚木で生活していたという記録も残っています。

明治の廃藩置県によって、1871年に厚木市域に陣屋を構えていた荻野山中藩は荻野山中県となりましたが四か月後に足柄健に統合され、足柄県は旧相模国であった神奈川県に編入されます。
そこから1876年に郡区町村編成法が施行されて厚木町に愛甲郡役所が設置され、本格的に今の厚木が構成され始めるのです。

厚木の発展と高速道路

厚木が今のような勢いのある地域になったのには高速道路が背景としてあります。
1968年に東名高速道路厚木インターチェンジが開設されたことによって首都圏南西部の陸上交通の要所となったためです。
これによって町は急速に都市化が進み、学校や道路といった都市基盤も大きく変わりましたし小田急線の厚木駅周辺が整備されて交通の便も格段に良くなったのです。

厚木は街の構造としても機能性に優れておりなおかつ自然も豊かで調和しているとして建設省のインテリジェント・シティの指定都市、郵政省のハイビジョン・シティ構想モデル都市、業務核都市などといった特例市としての成長を遂げてきました。
今でも豊かな自然と街の活気を両立させている新たな将来都市としての成長を続けています。